たいとる : 『箸にも棒にも』
ながさ :ほどほど。
だいたいどのあたり :諸々のクライシスが起こる前のジャスティスリーグ。 つまり昔々のお話で。
どんなおはなし :おハルさんがバッツにチューしたら超キレたそうです。 GL/蝙蝠。
ふんいき :真面目にはやってられない。
ちゅうい :腐女子向けだよ。




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「―― だが、彼の精神内に異常はないようだ」
「"それ"が正常な意識と同調している場合、判別は難しいはずだ。 ジョン、もう一度頼む」
「とにかく、何があったんだい?」


頭上で交わされる三者の声が、徐々に覚醒を促す。
ハルは、ぼんやりと顔を上げようとして、背中に回された自分の腕に気づいた。
それが、動かない。
両の手首が堅く繋がれているようで、
どこかまだ、意識はふわりと浅く、
右の中指を探れば、リングは外されている。
つまり、寝覚めとしては決して嬉しい状況でない。
顔を上げれば、そこはウォッチタワーの見慣れたミーティングルーム。
訝しげな様子で何か話し合っている仲間達。
椅子に座るハルの両腕は拘束されていて、
まるで訳が分からない。

「気がついたな」

冷たい声は、闇夜を従えて。
音もなくバットマンは視界の外から現れる。

「何だ? 何があったんだ?」
「分からないのか」

まるで身に覚えのない両手首からガチャリと金属音が。

「分からないし、手錠されてる意味も分からない」

ハルはきっぱり言い切った。
バットマンは表情を動かさなかった。
その傍らには、困った顔のスーパーマンとジョン・ジョーンズ。
(たしかにジョンの表情も分かりにくいが、きっと彼は困惑しているのだとハルは思いたい)

「そうか。 なら、仕方ない……。
 気は進まないが、ハル、貴様のためだ」

仕方ない、と言いながら声は一段と低くなり、剣呑な響きを凍てつかせる。
どうやらダークナイトの機嫌は良くないらしい。
その、夜闇の深淵から現れたような影が、一歩迫る。
光ではない銀の双眸は無機質。
ただ、口許だけが。


あ。 と、唐突にハルは思い出した。










その日、とある事件を解決した後のウォッチタワーで。
ナントカとかいう名前のヴィランが使っていた装備を、ブルースが分解していた。
ナントカ、というのは、連中は皆似たような名前を使うので、ハルはいちいち覚えてないのだ。
人間、興味のないことは頭に残りにくい。
しかし、きっとブルースは、違うのだろう。

黒いグローブに包まれた指先が、滑らかな動きが、
細かなパーツを鮮やかに解体してゆく。
その装置というのは、脳波に干渉して対象を操るというもので、
使い方次第では、頭蓋骨の中で脳を沸騰させるらしい、が。

逡巡ない黒の指は、全てが見えているのか、
瞬く間に元の形は失われ、機構は細やかに崩壊し、
あらゆる部品がテーブル一面に整然と並んでいく様は、なにか不思議な絵画のようだ。

「器用だな」

頭の上から聞こえる言葉に、
ブルースは顔も上げず、ただ曖昧な声を唸るように出した。
椅子に座る彼の、その背凭れに手をついてハルは覗き込んでいた。
隣に立つと邪魔扱いされるのである。
(本当は、後ろにいられるのも決して好きではないようだが)
やがて、両の手は静かに動きを止め、
ブルースは、全て分解し終えたその整列を、無言で眺める。

「ふむ」

小さく聞こえた声に、ハルは首を傾げた。
そして、黒く長い、精密の指が再び動き出す。
倍の速さで、やはり滑らかに、今度は一から組み立て始める。
だから、ハルは聞いてみた。

「それ、面白いものなのか」
「とても興味深い」

ハルはちょっと笑ってしまった。
端的に言えば、ハルは暇だった。 だからそこにいた。
けれど、ブルースも本当は、遊んでいるようなものかもしれない。

ハルが笑ったことを気にせず、ブルースは目の前に作業に没入している。
漆黒のケープは肩から背に沿い、すんなりと下に流れる。
ハルはその端を少しだけ摘んだ。

バットマンといえば、ゴッサムシティの夜闇に棲む "恐怖 "であり、
餌食とするのは、その闇の中に潜み身を隠そうとする罪人達だが。
ハルは、正直なところ、分からない。
その恐怖も、自らが追う者よりも深く闇に沈もうとするバットマンのことも。
たぶん、分かる時は来ないだろう。

闇夜を駆る蝙蝠の羽は、
今は存外大人しく手の中にある。

「ハル」
「何?」
「触るな」
「邪魔はしてない」

バットマンのケープは、時折ふと気づくと、生き物のような動きをしている。
少なくとも、そう見える瞬間が確かにある。
何かあるのかなあと触ってみるが、今日は何もないらしい。
手の中のそれは、硬軟というよりも、まるで冷たく凍えた水のような。
微かな光沢を放ちながら、光を飲み込む黒。
夜闇に手触りがあるとしたら、こういうものだろうか。
それが、するりと逃げた。

「手を離せと、言った」

凍えた夜が言い捨てる。
これがバットマンという生き物だ。
どこもかしこも全く闇ばかりで、ハルを睨むその眼も、光ではない無機質な銀。
人を寄せ付けず、人であることを見せようとしない。
ハルは、分かろうと思ったことがない。

ただ、その日は。
ハルは一つ気づいた。
それは矛盾であり、疑問だ。
だから、良く考えてみようと、身体を傾けた。
元々距離はなく、ブルースも顔を上げてハルを見ていた。
その唇を塞ぐことは、造作のないことだった。

つまり、矛盾だ。
触るなと言って自分を闇で覆い隠そうとするくせに、
口許だけは、晒している。
こうやって、触れることも出来る。
それが、やらしいなと 思った。

ブルースが特に何も言わないので、触れるだけのキスは、次第に深くなる。
唇に触れるなら唇で、というのは、ハルにとって自然な発想だった。
蜜蜂が花の奥に潜りこむに似た、当然の帰結であり、
付け根から噛み千切ってしまう動物と比べれば、蜜蜂はよほど行儀が良い。

微かに びくんと、
震えたので、ブルースが何か言うのかと思った。
少し離してやると、薄く開かれた唇は、しっとりと淡紅の色で。
掠れたような吐息で、ハル、と囁いた。
そういう声で、名を呼ばれるのは、嫌いじゃない。
もっと内側に誘われたいと、素直に思う。

隙間を埋めるように引き寄せて、深く重ねる口付けの、どこにも冷たさはなく。
もっと、という心のまま舌を差し入れ、潤む熱を掬うように奥へ。
ブルースは、まるでどう合わせればいいのか分からないみたいで、
そんなはずはないだろうが、それが妙に興奮する。
吐息の下、声を殺すように唇が、ハル と。
けれど、その先は続かず、制止か催促かは分からないまま。
零の距離の柔らかさで、唇をなぞる。

その時、ハルは気づいた。
間近で覗き込んだガラスの両眼の奥、ブルースの瞳は、
大きく見開かれ、冴えた藍色を驚かせて。
ふるり と、長い睫毛を震わせた。

声もないそれを目の当たりにして、ハルは初めて、まずいと思った。
胸をついたのは良心の呵責に近い。
それは、無防備なものを暴いてしまった、罪悪感だ。
と、同時に胸を突いたのは、躊躇いとは真逆の衝動で、
身体の底に熱がこもる。
まずい、と思う。

「ブルース」

ふるり、藍色は怯んだように、小さく震えて。
ハルの手は性急に友人から仮面を取り去ろうとする。
だから、気づかなかった。
あるいは、ブルースの手が首に添えられても、気にしなかったのかもしれない。
黒の、漆黒の、指は、そのまま。
精密な、正確無比な一指を、首の頸椎に与え、
ハルの意識を一瞬で刈り取った。




















「――だが、彼の精神内に異常はないようだ」
「とにかく、何があったんだい?」



そして、目を覚ましたハルは。
リングもなく両腕を拘束され、眼前には、酷く機嫌の悪そうな、ダークナイト。

「仕方ない……、気は進まないが、ハル、貴様のためだ」
「ブルース、動けない相手に暴力はいけないよ」
「暴力? 何のことだ、クラーク。
 私はただ、ジョンがもう一度精神走査しやすいよう、必要な処置をするだけだ。
 歯の二、三本は折れるかもしれないが、それでこいつの洗脳なり憑依なりインプラントなり、まあどうでもいいが、
 ともかく解除されるなら、問題あるまい?」
「君今どうでもいいって言ったよね」

どうやらこれは魔女裁判で、黒衣の判事様が疑っているのは、ハルの正気である。
全く心外だった。

「ちょっと待て! 何でそうなるんだッ 俺は別にどこもおかしくないぞ !?」
「バットマン、グリーンランタンの言葉は嘘でないと私も思う」
「それなら、この男は元から錯乱していることになるな、ジョン」
「だから! なんでそうなるんだ !? 俺はただキスしただけだッ」
「ただ?」

一気にブルースの表情が険しくなる。 それでハルが退くことはないのだが。

「いきなり舌まで突っ込んでおいて自分はまともだったと言い張るのか? 貴様は阿呆かッ」
「おまえこそちゃんと思い出せッ 最初からなんて入れてないだろ!」
「思い出させるな! したという事実がまず問題だとさっさと気づけッ」
「ああ、したよ! だからって普通ここまでやるか !? ダメなら駄目って最初に言え!」
「呆れてものが言えなかったと何故分からない!」
「分かるか! おまえじっとしてたし顔隠してるし!」
「それ以前にッ、するな!」
「あれはするしかない距離だろ!」
「貴様は距離が合えば何にでもキスするのか。それは既に精神疾患の域だな。良い医者を紹介してやろう」
「おまえホント人を傷つけるなァ。 何か? おまえにキスする奴は全員人でなしか?」
「そんな話はしてない」
「してる。 俺はしたいと思った奴としかしない」
「そんな話もしていないッ」

平行線が、平行線のままなのは、
そこに論理性も、双方向の理解もなく、かつどちらも譲る気などまるで無いからで。
喚き合うちに何の話なのかもあやふやになり、ますます結着からほど遠く。
その、目眩するような苛立たしさ。

動いたのはハルではなくて、
その襟首を掴んで縊り殺す勢いで引き摺り上げたダークナイトは、彼の友人達が止める間もなく、
何か言いかけたハルの口を、噛み付くように黙らせた。
ほとんど乱暴に舌を割り込ませ、無造作に蹂躙し、そして突き放す。

「どうだ、不条理だろ」

冷めた声のブルースは、指で唇を拭う。
ハルは元通り椅子に腰を下ろすと、目をぱちぱちさせた。

「たしかに、コレは、びっくりする」
「ようやく分かったか」
「悪かった。 でも、おまえ 俺よりろくでなしだ」
「ほう」
「少なくとも、俺は優しかっただろ?」
「私がおまえに優しくある必然性がない」

ちょうどそこに通信が入ったようで、ブルースはすっと離れた。
そんな二人を眺めていたジョンは、隣に立つスーパーマンに言った。

「ともかく、無事に話し合いで解決して良かった」
「そうだね、ジョンがそう思うならきっとそうなんだよ。……ブルース?」
「ゴッサムに戻る。 事件だ」
「手が必要かい?」
「いや。 後を頼む」

声は既に長い闇夜を翻した向こう。
常と変わらず言葉少なくバットマンは混沌の街に帰っていった。

「頼まれちゃったのは良いけど……」

クラークは、ハルの手錠を簡単に千切ると、

「ハル、君のリングは?」

立ち上がって伸びをしようとしたハルが、ぴたりと止まる。

「……クラーク?」
「僕は預かってないよ」
「ジョン?」
「私も分からない」
「……」
「えーと、きっとブルースもうっかりしていたんだよ」
「うっかり? あいつが? そりゃァ可愛らしい……」

ハルは固まった肩をぐるりと回した。

「ちょっと殴りに行ってくる。 たぶん帰ってこられないから、後よろしく」
「気をつけてー」
「健闘を祈る」








ハルの後姿も見送って、ウォッチタワーが静かになると、ジョンは呟いた。

「だが、論点をずらしていたのは、彼ではないと思う」

賢者の双眸は紅玉色。
クラークは、うーんと首を傾げると、朗らかに笑った。

「ブルースは繊細だからね」

























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なんか後半に続く、みたいになっちゃいましたが。
ジャスティスリーグは女子部がいない日の方がカオスな気がする。 シメる人がいないので。
とりあえず私はそろそろNo Fearを履き違えていると自覚するべきである。 ごめんなさい。
んでも、原書のおハルさんはおかしいというか面白すぎる時がありますよ。



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